北の大歓楽街「すすきの」「薄野」「ススキノ」に情がない
北の大歓楽街「すすきの」
日本三大歓楽街「すすきの」
すすきの正面はニッカウイスキーの看板
全国的にも知名度の高い場所で夜のすすきの人口は約6-7万人とも言われ、飲食店数はその数約4,000店。
同じビル内に飲食店もあればいわゆる風俗のお店もあり、横にはホテルがと、さまざまな業種でひしめき合う薄野。
歓楽街でも治安が良く女性だけで歩いてもまず安全。
地下鉄、路面電車の駅名はすすきの。
しかし、地名に「すすきの」はない。
地図を見ても薄野という地名はない。
では、ススキノってどこのこと?
1870年頃、北海道開拓時代に遊郭として歴史がスタートした、すすきの!
私が初めて薄野へ来たときは、大学受験で来た時の帰りに、札幌へ来たら薄野でラーメンだ!
ということで、汽車に乗る時間の間に来たのが初めて。
無事受験も合格して、札幌生活のスタート。
5月にコンパと称した学生同士の飲み会で、初めて薄野へ足を踏み入れたのが最初。
当時はビルもほとんどなく、今のデパート「ラフィラ」は二階建ての一階には書店がありました。
その後札幌オリンピックも決まり、瞬く間に変貌を遂げていきます。
当時の風俗は「立ちんぼ」「屋台団地」「トルコ風呂」
ほとんどは、身近で(ナンパ・学生仲間・飲み屋の女の子)で欲求不満を解消していました。
許可された風俗はなく、ほとんどがいわゆる「闇風俗」
(風俗という言葉もなかったような?)
そのうち、ピンクキャバレーが乱立しだし(ハワイ・ハリウッドなどの全国チェーン)
ピンクキャバレーは終了時間も早く、ホステスさんはより取り見取り、食い放題状態(若い男性には)
そこから、趣向を凝らした風俗が続々誕生していきました。
当時の風俗?女性はほとんど素人に毛の生えた程度で、今より楽しかったですね。
そのうち、ピンクキャバレーではなく過激なピンクサロン乱立の時代へ。
店で本番は当たり前のお店が多かったです。
今は、法律でも許可が出ているビルの中にある「ヘルス」
出張型の「デリバリーヘルス」
よくお世話になりましたが、飽きちゃいますね。
事務的、マニュアル的、金銭欲が多くつまらない!
出せばいいってもんじゃによね!
昔の隠れてするスリルと情緒がない、昔の情けがない!
と、ぼやいているのは私だけ(年寄りだけかな)
あ~!本気でぶつかりあいたいな~
