闇風俗その2 風俗の走りエスコートクラブ
札幌薄野の男女の出会いの走りは、昭和57,8年に仕掛けたエスコート「クリスタル」
当時はやった小説からいただいたタイトル。
18歳~25歳くらいの女の子が、お客と喫茶店で会話を楽しむといったものでした。
インターネットもない時代で、宣伝は当時は道路角々にあった公衆電話ボックス。
その公衆電話ボックスに、チラシを置くスタイルでした。
反響はぼちぼち!
ある日、スポーツ紙の広告代理店より電話をいただいて、某スポーツ紙に一回限りの大きい広告を打つことになりました。
広告の出た日、大変な事態が!
朝から電話が鳴りやみません。
その日だけで受けた電話は200本強。
まず、受話器にあてっぱなしの耳が痛くなり、しゃべりすぎでのどが痛くなり声が出なくなりました。
当時在籍していた女の子は5名、依頼が多すぎて2時間単位で次々、客の指定する喫茶店へ。
翌日からは、女性一人に受付を任せ、女性のスカウトへ走りました。
どこで女子を調達するか考えましたね。
まず行ったところが当時流行ってたノーパン喫茶。
座席に座って、上を見ると厚いガラスの上で女の子が踊っていて、スカートの中をのぞけるといったスタイルのお店でした。
名前は忘れましたが、なんか宇宙をイメージした名前かと。
結構通って、上の女子にチップを入れる穴を見つけまして、そこから1,000円入れると女の子がパンツを脱ぎ、上のガラスに座ってくれます。
ある日の夕方チップと一緒に、「終わったら飲みに行こう」と書いたメモを入れました。
その日その女の子と飯を食い、飲みに出て、ホテルへ。
そこで、こう言った商売しているけど、友達紹介してよ・・
と、話すといいわよ!
翌日朝ホテルを出て、女の子を自宅に送ってその夕方さっそく、友達に話したから電話行くと思う。
さっそく翌日電話が来て2人組で面接へ。
即採用すると、そこから友達の輪が広まってあっという間に10人くらい採用です。
その中で、3人は通ったノーパン喫茶の女の子でした。
そんなわけで、毎日の客数も相当な勢いで増えており、女の子たちも喫茶店でのお話だけでは満足せず(客もですが)延長と称してこっそりホテルへ行っているようでした(知らないふりですが)
その後はエスコートだけではなく、若い女性が60人くらいいましたので、ヌード写真を写せる派遣クラブをオープン。
これも大ヒットで、当時はポラロイドカメラ20台用意して、カメラ屋と交渉してポラロイド用のフイルムを格安で大量購入。
お客が撮影するのは、ほとんどがお○○こ!
持って帰れないということで、女の子たちは、自分の裸が写った写真を持って帰ってきました。
処理に困って、事務所内に専用ごみ箱を作り、女の子も自分の恥ずかしいところは見られたくないでしょうから、ガムテープでぐるぐる巻きにして捨てておりました(笑)
この商売には落ちが!
派遣写真クラブは決まった一軒のラブホテルを利用しました。
ある日、事務所にピンポンとそこのラブホテルの支配人が来て、いつも利用していただいているのでと言って女の子へエプロン30枚待ってきました。
申し訳なかったが、どうして毎日若い女の子が30~40部屋利用してくれるのか、不思議に思い後をつけてきましたと白状。
その支配人からは、その後も接待攻勢でした。
今は亡きそのホテルは「ファンダジー」
